前回「秩父34」−3の続き!
さて、今回はついに秩父市内を抜け、旧荒川村方面に…
今回は多少の手違いで、秩父駅から影森駅に移動を豪華にも急行で行く事に…
急行券は懐かしの硬券!
久々の秩鉄6000系(西武鉄道新101系)の高性能ASカー乗車。
加速は申し分ございません。。。。
さて、本日は26番 萬松山 圓融寺からです。
影森駅の裏をうろうろ…巡礼道を進みます。
今日は穏やかで暖かく、杉の花粉がこれでもか!とばかりに飛んでいるハズです。
こちらが、26番 萬松山 圓融寺
圓融寺は、寺社の作りにしては比較的珍しい木造漆喰塗りのシックな趣のある建物で、こちらが本堂となります。
がしかし…この圓融寺、隠しキャラクターの奥の院「岩井堂」が待っている。
これを拝まねば、26番を打った事にはならぬのだ。
で、本堂からテクテクと歩く事10分…
巡礼道は現役バリバリに稼働する「昭和電工秩父事業所」の中へと…
何故?と思うが、そのこころは昭和2年に始まる関東水電(株)影森工場(石灰と電力を容易に得られる環境を利用してカーバイトやら石灰窒素の製造)から始まる現在の昭和電工まで続く大人の事情なんでしょうね。
概ね、背に腹は代えられず、公道を含めた長狭物の権利を長期占用許可する形で昭和電工に貸しているってところでしょう。
で、琴平神社から昭和電工の管理地を抜け岩井堂へ…
これが琴平神社名物300段オーバーの石段です。
近年新たに整備されたらしく、古い石段にありがちな蹴上がりの不均等もなく上がりやすく出来ています。
但し、茂った樹木の中にあるので、所々で苔むしている箇所が有りますので、降雨後や夜露に濡れている時間帯は要注意です。
で、神社様の境内…何故か土俵。
奉納相撲でも催す事があるのでしょう。
今度見てみたいものです。
さて、その後の奥の院までは、今まで出会った巡礼道の中でも指折りのすばらしさ。
木の根の間に貯まる落ち葉を踏み締めながらの道程は「気持ちいい〜」に尽きる。
奥の院到着。
懸造りの舞台形状の建物は、これだけ人里から離れて急峻なの山奥ではなかなかの構造物だと思います。
そして、その更に奥…
座像…が鎮座…してその奥には…
箪笥岩の上に建つ修検堂
このお堂の周囲を十二支車をカウントしながら12回周回するのだそうです。
ワシは怖くてできんよ…
道すがら、次の27番 龍河山 大渕寺は、本堂より先に関東三観音の一つ、護国大観音を拝ませて頂く。
景色はすこぶる良い。
これまた秩父盆地を一望できる。
27番 龍河山 大渕寺到着。
この巡礼始まって以来の3人もの巡礼者と遭遇…時期の問題??
太平洋セメントの三輪鉱山の引き込み線の脇に出てきました。
雰囲気のある線路の湾曲にここにデキの引く貨車が来ないかと淡い期待…
イベント仕様の長瀞火祭りトレイン号が通過…
秩鉄は、こういった地方イベントにちゃんと反応してくれますね。
こっちは、影森駅から浦山口の秩父太平洋セメントの三輪鉱業所まで続いていた秩父鉄道武甲線の廃線跡
秩鉄お得意のレールを利用した架線電柱です。
レールの腹には、129MARYLAND1900とあります。
メリーランド製鋼社製の50lbsレールとの事、最後の数字は年号でしょうか?
だとすれば、1900年、つまり明治33年の製造という事になります。
秩父鉄道の前身、つまり上武鉄道が熊谷−寄居間を開業したので、1901年(明治34年)ですから、その当時に使われていたレールを再利用したものですね。
さて、本日のお昼…ではなく、その前に28番 石龍山 橋立堂を打っておきます。
こちら、県民なら比較的お馴染みの場所の橋立鍾乳洞のすぐ脇なのですが、私が手を合わせるのは初めてだったりします。
境内の蕎麦処で大盛り手打ち蕎麦を頂く…うまぁ。
次は、浦山ダムを望む、29番 笹戸山 長泉院
こちらの本堂も漆喰壁が美しかったハズだが千社札の嵐に、落書きされた観光地のようだ…いとあはれ…。
次なる30番 瑞龍山 法雲寺までは、7キロ弱、秩父往還を含めた巡礼道を楽しみながらテクテク。これが至福の時間だったりする。
分岐の道しるべ石…これはデカいのだよ。
埼玉ゆかりの武将、畠山重忠公の乳母を祀った乳母神様
こんな小さなモノでさえ、新鮮に映っちゃいます。
白久の駅を脇に見て、巡礼古道を進み…
30番 瑞龍山 法雲寺に到着。
まだ、本堂脇に除雪した雪が…
納経をしてくださった方が若い女性だったのだが、御朱印の書が達筆で驚いた。
伸び伸びとした筆運びと力強い文字が美しい。
才色兼備という言葉が頭に浮かんだ次第。
白久からまたまた西武線直通の急行に乗って、西武秩父駅へと帰途について終了。
手書きの駅のホームの看板はよいですなあ〜
まぁ、楽しいハイキングですよん