2013年09月15日

行くぜ東北!(車で)Day3

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鉄の町釜石にて宿泊した翌朝…釜石市内を朝の散歩からスタート。

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釜石の市内を宿泊先から。。。
一見、何の変哲も無い風景に見えますが…

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宿を出たすぐ目の前は、街路灯が目線の高さからもぎ取られています。
街路灯がコレですから、建物の1階部分はほぼ軒並み破壊され尽くしています。
運良く破壊を逃れても、多くの瓦礫や堆積物に覆われておりました。

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甲子川の大渡橋の畔にこんな碑を見つけました。
いつまでもその時を忘れず次の世代に伝える…大事だけど、なかなか出来ませんから。

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寂しそうな釜石駅。
南リアス線・山田線が未だに運休中で、線路も赤錆て悲しい限り。
動いているのは、釜石線だけ…

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元新日鉄釜石製鉄所(現新日鉄住金釜石)
・平成23年4月13日 線材工場再稼働
・平成23年7月 1日 IPP(石炭火力発電所)再稼働
・平成23年9月 9日 石炭揚陸設備復旧、パイプコンベア再稼働
・平成24年3月11日 線材製品国内向け出荷設備(全天候バース)復旧
・平成24年5月10日 線材製品輸出向け出荷設備復旧 =完全復旧

こんな資金力や体力のある会社であっても、完全復旧に1年2ヶ月も掛かったようです。
地元企業は、地元民の活力も担っています。
廃炉とか、施設移転等にならなくて良かった。

 

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南リアス線の高架橋です。
およそ10mはあろうかと思われる橋脚の上部にあるブラケット足場が見事に折れ曲がっています。直接津波がここまでやってきのかは定かではありませんが、漂流物等の異物がぶつかって変形した事は間違いありません。

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市街地のうち、港に近い軽量鉄骨造の建物は殆どの建物が一階部分の外部被覆を剥ぎ取られて、胴縁が露わになっています。
ALCにしてもサイディングにしても、外的な力に関しては構造体としての働きは弱いでしょうから、水圧&漂流物の激突による衝撃ではひとたまりも無かった事でしょう。
構造体として比較的壁面強度が期待できるRC造の建物でもかなりの被害を被っているようですから、木造家屋だと2階部分が無傷のまま1階が崩壊して漂流してしまう事もあったでしょうね。地元の人にお聞きしたら、軽鉄造の建物がポツポツとまばらに残っている以外は木造家屋で、すべて流されたか倒壊したんだと話してくれました。

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さて、釜石から陸前高田に向かいます。
陸前高田の移設役場を過ぎて、311以前に町だった場所を通ると…
一面の野原でした。衝撃です。

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RC造の建物でしょうね。
でも、原形が判別できないくらいに破壊されています。

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そして、奇跡の1本松です。
FRP製となっても、生き証人として後世まで此所で起きた事を伝え続けて欲しいものです。
再び松の植栽をして、沢山の仲間と共に…

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そして、この旅の大きな目的の一つ…第18共徳丸をこの目に焼き付ける事。
今月から解体が始まり来月には姿を消すとの事で、震災によって引き起こされた津波で、多くの災害が発生したが、その象徴的な震災遺構がまた一つ消える。
多くの人の気持ちを考えれば、いつまでも過去を引き摺っても良くない。綺麗に忘れて前に進もうという気持ちは分からない訳ではない。
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この画像を初めて目にした時は、津波とはこんなにも凄い威力を秘めた災害なんだと改めて自然の猛威に恐れ戦いたが、それが綺麗さっぱり無くなってしまう。。。
とても複雑な心境だ。

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そして、南三陸町役場の(元)防災庁舎
これも解体の予定との事。
解体するも、保存するもなかなか難しい。
今はただ、手を合わせて最後まで町民の避難を呼びかけた職員の方々のご冥福をお祈りしたい。

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石巻…この町の被害は、本当に悩ましい。
リアス式海岸に張り付くように市街地が広がる岩手や宮城北部の市町村と違って、市街地のうち海外線に近い地域が痛ましい被害を被った。道路以外の構築物が無い不毛の荒野だった。
がんばろう!石巻
そのフレーズが画面に映し出されるようになって2年と数ヶ月。
未だにそのスローガンの周りは、雑草が茂る荒野だ。。。。

何か、色々考えさせられる行くぜ東北!だった。


最後に…
私如きが言わずとも、誰もが分かっている事だと思うが敢えて記してみます

今回の津波被害については、大昔の三陸津波の伝承や地元遺構から、現代科学が想定していた規模よりも遙かに大きく強力である事はうすうす分かっていた筈だと思う。

それでも、被害を被った同じ場所で人は家を建て、商いの拠点を設けて生活する。

つい、2年半前に建物の軒先の高さよりも高い黒い海水が押し寄せて、瞬く間に全てを奪って行ったのにである。

復興とは、再び津波に恐怖する可能性のある場所に昔のように町並みを再建する事では無いと思う私には、どうにもやるせない気持ちでいっぱいになります。
でも、仕方がないんでしょうね。

どうか…皆さんが一刻も早く平穏な暮らしに戻れる事を願います。

posted by lantur at 11:07| 埼玉 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 飽食紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宮城と申します。

宮城県も足を運んで頂いた事に感謝しますm(__)m

有難う御座いました!

見て思った事を是非とも家族や知人に話をして下さい!
Posted by 宮城 at 2013年11月16日 10:35
宮城様

十分に堪能して、色々見てきました。
議論とか批評とか想像する前に行け!ですね。

Posted by らんた at 2013年11月19日 07:34
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